映画「アクト・オブ・キリング」と「ルック・オブ・サイレンス」は知る人ぞ知る名作。それぞれの伝え方の違いと、知ることの是非を語りたい

投稿日:2019年9月7日
更新日:

yotta
凡庸な悪が見えすぎると話題の映画をご存知でしょうか
  • アクト・オブ・キリング
  • ルック・オブ・サイレンス

この2つの映画を見ると「知ること」ができます。人間という生き物の本質が強烈に見えます。知る人ぞ知る、かなり、危険な作品です。

ナラトロジーという物語の学問では、次の二つで表現してやっとナラティブ(物語)と言うそうです。

ナラティブ

  • 「何があったか」
  • 「どう伝えるか」

紹介する2作品は実際にインドネシアで起きた事件をテーマに、「どう伝えるか」に重きを置いた嘘のような本当の物語を描いたドキュメンタリー

隠されていた歴史事実があり、その内容の強烈さは事実を知ることが良いのか分からなくなるほどです。どす黒い人の本質に目を背けたくなり、たじろぎ、混乱します。これ過剰な表現じゃないのである意味終わってます。

見え過ぎるので、知りたくない人は知らなくていいと思うのです。

現代は知ることが出来すぎるし、知らなくて良いことだって多すぎるのかもです。なのでよく考えるのですが、「知ること」って果たして全員に良い事なのかが分からなくなります。この映画は特に分からない。

しかし、あなたが知ることを肯定的に捉える人ならば、少し僕にこの映画を紹介させてください。人の弱さ・本質がギッシリ詰まっている傑作で興味を持って欲しいです。

アクト・オブ・キリングとルック・オブ・サイレンス

監督:ジョシュア・オッペンハイマー

アクト・オブ・キリング《オリジナル全長版》

ルック・オブ・サイレンス

  • アクト・オブ・キリング(2012)
  • ルック・オブ・サイレンス(2014)

アカデミー賞長編ドキュメンタリーにノミネートされたり、多数の映画賞を受賞した、ともにドキュメンタリーに該当する映画

  • 「何があったか」
  • 「どう伝えるか」

それぞれの映画で異なるのは、「どう伝えるか」の部分です。「何があったか」は下の項目通りで共通しています。

共通項「何があったか」:インドネシアで起きた9月30日事件

In 1965, the Indonesian government was overthrown by the military.
1965年 インドネシア政府は軍に権力を奪われた

Anybody opposed to the military dictatorship could be accused of being a communist: union members, Landless farmers and intellectuals,
軍の独裁に逆らう者は、組合員 小作農、知識人―すべて共産主義者として告発された

In less than a year, over one million 'communists' were murdered- and the perpetrators still hold power throughout the country.
わずか 1年弱で100万人以上の”共産主義者”が殺された
今でも その加害者たちは国中で権力を握っている

語られる「何があったか」

親や家族を手にかけた殺人者が地域の英雄として、今なお隣人として暮らしている狂気の事実です。

インドネシアで100万人以上が虐殺され、携わった者たちは「英雄」と評され何の罪にも問われず、残る未来の子供たちには功績を歪めて伝えられ、被害者は恐怖に怯えながら今も加害者と一緒の地域に住んでいる

それぞれの映画で「どう伝えるか」の違い

2つの映画は「どう伝えるか」が大きく異なります。

アクト・オブ・キリング

アクト・オブ・キリング《オリジナル全長版》

実行犯自らが、どうやって殺害したかを演技して見せる。

それにより実行犯の「人となり」「狂気」「罪の意識」「変化」を本物の実行犯がそのまま見せる伝え方

ルック・オブ・サイレンス

ルック・オブ・サイレンス

被害者が、実行犯に対面でインタビューして見せる。

それにより被害者の「苦悩」「葛藤」「救いがない出口」「生き方」を、彼ら実行犯の振る舞いや発言を通じて、そのまま見せる伝え方

同じ「何があったか」のテーマで語りますが、共に強烈に「どう伝えるか」が異なります。そして、それぞれで加害者の反応が少し違って終わるのも歴史を繰り返す人間らしさが見えます。結局、人は「自分ごと」にならないと分からない。

アクト・オブ・キリングの見どころ

アクト・オブ・キリング《オリジナル全長版》
再生時間:
2時間46分
公開:
2014

60年代のインドネシアで密かに行われた100万人規模の大虐殺。その実行者は軍ではなく、"プレマン"と呼ばれる民間のやくざ・民兵たちであり、驚くべきことに、いまも"国民的英雄"として楽しげに暮らしている。

アクト・オブ・キリングは、インドネシア政府が事件に触れる事をタブーとして被害者への接触を禁じたところから、監督ジョシュアが、じゃあ加害者に「あなたが行った虐殺を演じてくれませんか?」と言った所からスタートする。

1000人以上を手にかけた実行犯のリーダー、アンワル・コンゴを中心にして、普通の人が普通に笑いながら人を手にかける方法を実演でもって再現し、その正当性や功績を残すことを目的に、映画内で映画を撮影する。撮影には実際の被害者も被害者役で演技させられる。狂気の連続

実行した背景には、曰く"正義"があって、悪や罪は微塵もない。「お前にとって地獄だが、俺にとっては天国だ。ガハハ」と笑いながら襲い手にかけた様子を再現する。大衆操作のイデオロギー一つで、この利己にまみれた暴力性を発揮する、これが人間なんだと理解できる。ラストでついに体が反応したアンワルの衝撃のシーンもまた、彼らが普通の同じ人間なんだとなって苦しい。

ルック・オブ・サイレンスの見どころ

ルック・オブ・サイレンス
再生時間:
1時間43分
公開:
2015

虐殺で兄が殺害された後、その弟として誕生した青年アディ。彼の母は、加害者たちが今も権力者として同じ村に暮らしているため、アディに多くを語らずにいた。

ルック・オブ・サイレンスは、兄を殺された被害者アディが実行犯たちや家族に直接会ってインタビューして回る。

英雄とされる彼らに罪の意識は微塵もない。川で32人を手にかけた実行犯は、アディの兄を殺害した方法を嬉々として語り、詳細に記した歴史の本を自分で挿絵も描いて作るほど。

「実は兄を殺害されたんだ」と聞いた実行犯の家族は「忘れましょう、もうあなたも家族よ」とアディを抱きしめる。

「父からは何も聞いてなかった」「そんな本知らない」「本はあったが知らない」「私はずっと病気なのよ」「たとえ両親を殺されても、俺たちはみんな友人だ」「撮影のせいで傷口が開いてしまった」「復讐したいのか?」「過去は忘れてうまくやっていこう」「俺たちはもう君のことが嫌いだ」

「俺たちは何も知らない」
「俺たちは何も知らない」
「俺たちは何も知らない」

実行犯たちは言う「これが人生ってもんだ」

人間の純粋に心からでてくる「保身」が映っていることに、心の置き所が分からなくなる。更にはアディたち被害者が彼ら加害者を通じて何を感じるか、ラストに映る。

「知ること」は良い事だろうか?

「人間の本質を知って、それでも人を諦めず何ができるか」が最も大切で、個人的にはこの映画に込められた想いはその辺にあると感じています。しかしながら冒頭で書いた通り、僕は「知ること」が良いか悪いかは分かりません。

前に20代の女性と話していてドキっとしたことがあって、彼女が言ったのは「無駄に経験を重ねて達観してスレてる子になりたくない」「女性は期限がある」という言葉

「知ること」をなるべく拒否する選択です。ようはフワフワの頭のままであることを自ら望んでいる。経験を悪とし、若いうちにフワフワのまま結婚して暮らしたいとのこと。

その時の僕は、物事を知って経験するのは失敗も成功も絶対に良いことだと思っていたのですが、彼女の言う通りで生きていけるなら「知らない」のは全然アリだと考えるようになりました。失敗も成功も、よくわからない世間の物差しで自身に指標を作って縛っているだけなんですね。道徳やモラルも同じ。

人は、本来は善も悪もない、うんこを作って何かに貢献して生きていく、欲だけは強く、暴力的で利己的な生き物だと思います。ただし、「知らない」で生きていけるならアリだと言うだけで、生きていけないなら「知るべき」だと思います。

「お前は赤か」と決められ、自身を守る術もなく殺されてしまう世界や歴史が実際にあるわけですから。人が人である限り今も世界のどこかで起きているでしょうし、日本がこのままの日本でいられるかもわかりません。

逃れられない恐怖と、人のどうしようもない感じ、基本的には多くの人に知って欲しい映画なので紹介しましたが、良い事か悪い事かは分からないのです。ただ立ち止まる余裕がある人は見て欲しい。見た後、知ってあなたが何を考えるのか? 知っていてもなお人は凡庸な悪から逃れられないのか、僕はいつも悪意を見たとき考えてしまいます。

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