「速い文章と遅い文章」について調べてましたが、どうにも同じ言葉で説明されているサイトが見つからなかったので自分で言語化してみる。
念のため
僕は書くのも読むのも苦手なタイプである事を事前にアッピールしておく。
事の始まりは、次の二つについてを考えてたところから
- 「共通認識」
- 「読後心理」
あ、ブログの話です。
目的としては「伝える文章を書けるようになりたい」があります。
伝える文章って、
齟齬なく話を進めるために言葉を一致させる(共通認識)と、
読んで感じる共感(読後心理)の二つがものすごく大事だなぁと思ったのです。
もっと言えば「伝える文章」という言葉自体にもいろいろな意味を込めていますが、言葉の奥まで一訪問者は読み取らないし、読み取る必要もないし、そもそも読まないしな~
という悩みがあるから考えています。
そんなことを考えていたら、「速い文章」と「遅い文章」という感覚にたどり着きました。
速い文章と遅い文章
どこかでプロの方が別の言葉で解説されてそうだなーと思いつつ、何て調べたら出てくるか分からずなのが、次の二つの感覚です。
速い文章とは
参考書を読んでいるかのような、書き手が残らない文章
認識のズレをさけるために文章内に補足や説明をたくさん増やすと、その分減らさなければならない言葉がいっぱい出てきます。
すると、説明だけの短文で区切ったサラサラした内容になって、それが全体を通して早い文章に感じます。
読み手に説明はできますが、呼吸ができるような余談・間が作れず、内容は伝わるけれど読後心理にプラスの影響とならない気がする文章です。
今読んでいただいた、この文章のようなイメージです。速くないですかこれ?
遅い文章とは
小説を読んでいるかのような、書き手は残るが読み手を選ぶ文章
読み手に自分の事のように感じてもらう読後心理を目指す場合、
なるべく共感できるような「例え」「実例」などを書くことが増えますよね?
読み手が"想像できる"情報量が多くなる一方で、単純に1行に入れなければならない文量が増えてしまい、全体が重くなります。
「あ、気になるタイトルだ」と思ってクリックした先が、パッと見て文章でギッシリだったら読まない事ってないですか?
僕は「あっ・・」てなった後そっと×を押します。
全体が重そうなのはマイナスなイメージで捉える人が多いと思うのです。
速い文章と遅い文章の間
速い文章も遅い文章も共にメリット・デメリットがあります。
しかしどちらか一方だけの選択はエゴなのかぁと感じるわけです。よほど出す情報に魅力があるか、書く人に魅力がなければ。
理想は―
一つの記事に複数の早いパートと遅いパートが混在する記事でしょうか。
記事のテーマを細かくパーツや文節ごとに別けて、最初に早いパートで、より深くなるにつれ遅いパーツを配置するなどが自分だったら読み進めやすいかなぁと思ったり思わなかったり、、
ラジバンダリ。
言いたいのは、共通認識と読後心理は表裏一体で、どちらが欠けてもバランスが悪く、伝わらない文章な気がするってことです。
文章を読めない僕が言うんだから間違いないと思います。
共感や認識を一致させつつ読み進めてもらうのって難しいし、できるようになりたいなぁと。
- 思考の言語化がまず難しい
- 言語化したことを整理して伝えることはもっと難しい
- 読んでもらう事が難しい
こうやって考えるのが好きだし面白いなぁと感じた話でした。
おわり。